期待と虐待
「明日はね、じいじの誕生日なんだよ」
「えっ!?死んでも誕生日あるの??」
「お誕生日会はしないけどね。死んだ日があるなら生まれた日もあるんだよ」
そんなやり取りを昨日4才と話していました。
今回は何でもないお話。
でも、いつかはあなたにも起こるかもしれないお話。
介護とは?
父の病気が発症したのは65才の時でした。
66~7才くらいの時が一番よく転んでいました。
その時のお話です。
父の病気は脳の病気で原因も治療もわからない国指定の難病でした。
突然後方へ走り出し後ろ向きに倒れ込むという、厄介な病気でした。
母は父が病気を発症するよりもずっと前に、難病を患いました。
母の病気の方は薬を飲み続ければ難病の方の予後はさほど問題ないということ。
しかしその薬のせいで、重度の骨粗鬆症になりまともな背骨はほぼないに等しく
重要な背骨のところにはセメントもいれている状態です。
そういった状態なので、万が一父が母の上に倒れ込んだりでもしたら
二人の介護をしなければならないことになります。
そういったこともあり、わたしが父の介護をすることになりました。
それでも、わたしも育児があり、子供とお出かけもしたいのでできるだけ自分でできるようにしてもらいたかったのです。
父は当時は左手と左足に力が入らず転んだら立ち上がることができませんでした。
でも、時間をかければ立ち上がることはできます。
しかも、スイッチ(自分にとって都合がいい)が入った時だけサッと立ち上がれます。
そういった状況を見ているといらだちます。
娘が起きてきて(夜中でも倒れる癖に歩く)くれるだろう。
転べば何でもやってくれる。
そういった甘えがあるように見えました。
もともとの性格も、そういった考えがあるズルいタイプなので、余計いらいらしてしまったのかもしれません。
介護はできないことを手伝う。
できなくなったことは、工夫して自分でできるようにする。
何とか少し手を借りながらも自分でやってほしかったのです。
全部手伝ってしまうと、筋肉がおちて本当に何もできなくなってしまいます。
頼むから
お願いだから!!
自分の足で何とか踏ん張って立ち上がってよ!!
そんな思いで、ひっくり返った父を見下げて苛立ちます。
そして何度も教えた方法で立つまで、横で父の足の位置や手の位置を自分で立ち上がりやすいように変えたりしながら、見ていました。
「腹筋だけで起き上がれるわけないじゃん!私でもできんわ!!考えて起き上がってよ!!」
父は
ほら、自分じゃ起き上がれないから何とかしてくれ
と言うかのように通常では起き上がれないような方法で起き上がろうとします。
こういったわたしの怒った声だけが部屋の外に漏れて
当時4才の長男に
「じぃじは病気なのにどうしてママは怒るの?」
と、言われてしまいました。
これは虐待なの?
わたしはただ、自分で何とかしないと力がなくなってしまうし、リハビリではないけどなんとか自分でできるように、してほしかっただけで。
でも、こんな頭の病気の父にキツイことを言っているんではないか
本当はもうこんなことをやっても意味がないのではないか
いつかゆっくりでも転んだあと起き上がることができれば這ってでもベッドまで行けたりするのに……
これは期待と称した虐待なんではないのかと
できないのに、怒って無理やりやらせて
父はどう思ったのだろう。
その1年後には40キロほどの筋肉も全くない体になって寝たきりになって。
辛かったかな。
って。
わたしは介護をしたんじゃなくて文句ばかり言って虐待してたのかな
そういう思いが私を時々苦しめます。
3年半。
精一杯のつもりでいっぱいいっぱいだった。
先の見えない介護から抜け出せたとき、父にありがとうという気持ちがありました。
今日は父の誕生日です。
誕生日会はしないけどね。
でも思い出すよ。