いつか雨は上がる

経験したお出かけ情報や、過去の不妊治療のこと、親が英語が苦手の子供のオンライン英会話の成果について記していきたいと思います。

壮絶!Wケア 進行性核上性麻痺(しんこうせいかくじょうせいまひ) 介護 症状

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壮絶!Wケア 進行性核上性麻痺 パーキンソン関連疾患

 

父は65才で再雇用として同じ会社で働き始めたときのこと。

母は20年ほど前から難病を患っています。

 

通常の生活はできるけどステロイドのプレドニゾロンを終身まで飲み続けなければならないため副作用で重度の骨粗鬆症になっており、

かがむ動作や重いものを持ち上げることはできないので、掃除やお米や灯油などそういったことは父がやっていました。

 

私は結婚し家を出ていたので二人で暮らしていました。

 

ただ、私が顕微授精でやっとできた二人目の子を出産してすぐに夫が1年の単身赴任になったため、実家に出産直後に子供を連れて帰っていたときのことでした。

 

 

発症

3月 左足に力が入らない(スリッパが脱げてしまう)
4月 話し方がゆっくりになった・字が小さくなった・左手に力が入らない
5月 声が小さくなった 姿勢が悪くなった 転ぶようになった
6月 座るとき毎回しりもちをつくようになった・手がこわばる
7月 足がすくむ・姿勢がかなり前屈姿勢になった・足がむくむ・動作が遅い
8月 お茶でむせるようになる すぐに立ち上がれなくなる
9月 唾でもむせるようになる・よく転ぶ・両足こむら返りによくなる
 
9月にかかりつけの病院へ神経内科のある市民病院へ紹介状を書いてもらう
10月市民病院へ 診断がつかない パーキンソンの疑いネオドパストン服用
 ネオドパストン効かない ボーっとすることが多くなる
 
 顕著な症状がないと診断がつけられない ただ、進行性核上性麻痺だと疑っていると先生に聞いた。
 
・両手のこわばり
・方向転換時に足がすくみ転ぶ
・食べ方が汚くなる
 
11月セカンドオピニオン(実家から高速で2時間かかる場所にある専門の個人病院) 予約日にたくさんの書類を書いた。当日に診断をつけてくれた。
 

診断結果

進行性核上性麻痺(PSP)
プレイステーションポータブル!っていいたくなるけど違います。
 
進行性核上性麻痺【しんこうせいかくじょうせいまひ】
・脳の中の大脳基底核、脳幹、小脳といった部位の神経細胞が減少し、転びやすくなったり、下方を見ることがしにくい、しゃべりにくい、飲み込みにくいといった症状がみられる疾患です。
初期にパーキンソン病とよく似た動作緩慢や歩行障害などがみられて区別がつきにくいこともありますが、パーキンソン病治療薬があまり効かず、効いた場合も一時的のことが多く、経過がより早く進む傾向があります。
歩行障害などが徐々に進行して転倒を頻回に起こし、やがて寝たきりとなります。発症してから寝たきりになるまでの期間は平均で4~5年程度とされますが、患者さんごとに経過が異なります。【難病情報センターより引用】
 
診断がついたおかげで
難病指定の書類を申請できたり
介護保険の申請をすることができました。
 
介護認定 要介護2の状態でした。
12月会社を正式にやめました。
 
私は行くはずだった幼稚園にキャンセルを入れ、急きょ実家近くの幼稚園に通うことにし様子を見ながら住むことになった。
 
立ち上がり動作に支障が出てきたので介護用品をレンタルする
タッチアップ10㎏
 
・後ろ向き状態で後方へ突然走り出し派手に転ぶ
壁に3カ所穴をあけ
ガラス4枚割る
・リバスタッチパッチを貼る
 
赤ちゃんや子供、母に何かあっては大変なので家の部屋の中では這って生活をするようにする。
 
通路は二足歩行
 
・前傾姿勢がほぼ直角と言っていいほどになった。 
・話しかけても返事がかなり時間がたってから返事をゆっくりとする。
 

セカンドオピニオンをやめる

この頃になると、セカンドオピニオンでいっていた病院へ通うのがつらくなったのでセカンドオピニオンでお世話になった先生に、
 
赤ちゃんと、子供と父を連れて2時間かけて病院に通うのがとてもつらいので、もともとの神経内科の先生にお願いしたい。ということを伝えてもとの地元の市民病院へ戻った。
 
常にかがんでいるので、前が見えなくなった。手探りでものを探すようになった。
 
4月 上の子が実家の土地で幼稚園に通う。
食事の時、前が見えずに自力で食べようとしないので、頭を固定して食べるようにする。

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もの凄く上手で笑うこともできないかもしれませんが!!

 

座りやすいように回転性の椅子に変更

椅子の背もたれに棒をしっかり固定した後、痛くないように包帯でさらに固定

ぼうについている茶色の部分は太いゴムでおでこやあたまにかかる部分を包帯で巻いておいた。

 

頭が上がるので肩の位置も上がって食事が自力で摂れるようになる。

ただ、このころになるとワンプレートのようなものに変え、下の子が離乳食が終わりそうな頃に、父の離乳食みたいな介護食が始まる。

 
夫が1年の単身赴任をおえ、実家近くの支店へ転勤希望をだし、実家に一緒に住んでくれた。
 
そのため、一人目が生まれる前に建てた家を放置することになり、さらに住んでいないため住宅ローン控除が10年あるうちの7年が無効になってしまった。
 
後ろに転ぶのがかなりひどくなる。
 

家の中でシルバーカーを使うように 

トイレへ行くのに大変なのでシルバーカー(手押し車)を家の中用に買いトイレや移動はそれにつかまって移動することになった。

 

もちろん、シルバーカーは軽いので一緒に倒れると困るので、椅子部分になっている下の物入れのところに砂袋を入れて重くしてあります

 

もうおふろに入るのも大変なので、デイサービスを週3で利用し始めました。

なんだか歩くのが大変になってきたけれど、歩かないと筋肉が落ちていくだけなので、下の子が1歳になってよちよちと歩き始めたころ、三輪車と、1歳になった下の子と父を連れて遊歩道まで車で行った。

 

子供は大はしゃぎで、散歩を喜んでいたけれども、父が三輪車の舵を持って歩いてみようとなんとか5m歩きましたが、

倒れそうになったので抱きかかえるのが本当に重くて、三輪車は放置して、1歳は私にきちんとついてきてくれました。

 

生まれたときからじいじは大変・じいじの病院へついて行くのは当たり前のようになっていたので助かりました。

 

散歩はすぐになしになりました。父を車に乗せ、1歳をチャイルドシートにのせてから三輪車を取りに行き家へ帰りました。

 

子供は車の中で泣きました。

 

だいたいそんな調子で1年間過ごしていました。

その間に、理学療法士さんが週1で家に来て運動療法をしてくれました。

 

一年がおわる頃には私たちが夜眠れないほど(夜中に何回もトイレへ行くため)後ろに倒れまくっていました。 

 

発症して2年目

 

上の子が年中になり、下の子が2歳になった頃(発症して2年)

夕方、父がベッドの上で呼びました。

体が動かない

と。

すぐに、おむつを買いに行って、途中でもらすといけないのでそれをつけて救急へ電話し病院へいきました。

 

脳内出血していました。

頭はしょっちゅう打っていたのでいつのが原因なのかわかりませんでした。 

 

打たないように常に横についていることは、育児をしていればわかると思いますがなかなか難しくてできませんでした。

 

母は子供の面倒が見られません。

母は父の面倒がみられません。

 

育児でノイローゼになるくらいなのに、出産直後から夫がいない中二人の育児と介護と家事。ノイローゼになってる暇がなかった。考える時間がないから。

 

約2週間してから手術になりました。

それから、入院中の朝食の時間に行かなければならない。夕食の時間にいかなければならない。

 

そんな毎日が過ぎました。

 

介護保険の更新

 

入院している最中に、介護保険の更新が来て市民病院に来て様子を見て判断していきました。

 

要介護2でした。

2か月ほど入院してリハビリ入院として転院することに。

転院先では毎日食事は食べさせてはくれますが、結局洗濯物があるので毎日行きました。

 

ただ、冬場になると、インフルエンザなどが流行るので、子供は入院施設の方へ入ってはいけないことになります。

 

毎日通っているので看護師さんたちもわかってはいるのですが「お子さんをこちらでみていますので」と言われ下の子は泣いて待っていました。

 

リハビリ入院で長く入っていましたが、どんどん悪くなる一方で、座っていても左側へ傾いて行ってしまうようになってしまいました。

 

左側へ傾いているのは本人は気付いていないので、そのまま倒れてしまいます。

倒れると起こすのがとても大変で、足に力が入らずほぼ自力立ち上がることもできなくなりました。

 

手も上がらなくなりました。スプーンで食べることもできなくなりました。

 

入院している間に、ポータブルトイレをどうしようか、どういったのがいいのか、大きさや周りの手すりのことや、換気扇を設置しようかとか、色々悩んでいました。

 

でも、入院している最中に、自力でトイレに行かなくなり、おむつになってしまいました。

父が67の時でした。

 

それでもリハビリ入院として結構長く(最大まで)入院していたので自宅にかえることになりました。

 

帰ってきてから、本人の希望で手すりの設置をしました。

手すりは2回くらい使って、二度と歩かなくなりました。

 

全てが出来なくなっていく父

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ここからが冗談じゃないくらいの日々でした。

毎日、毎日。

下の子のおむつと父のおむつ。買い物も半端ないです。

 

介護のおむつは、赤ちゃんのおむつと違って、パットも買わなければいけません。

しかもおむつがばかにならないほど高い。

 

おむつの中にさらにパットをつけるのです。意味あるの!?とか思いましたがなっとくしました。

 

しかも種類がたくさんあってどれを買っていいのかわからない。

もうわかりますけどね。

 

始めは全くわかりません。

 

おもらしをする、シーツをはがすために、ベッドから降りてもらう、ベッドを直している間におもらしを床にする。(ものすごく痩せたのでおむつがぴったりにならない)

 

床を掃除しているととおくから、下の子が叫んでいるのが聞こえる

「ママー」

「こっち来ちゃダメ!」

「ママー、うんちー」

「……」

 

父の洗い物が増えたので外に置く洗濯機を買いました。

 

もうほとんど、怒って過ごしていました。

 

「もう!なんで立ってくれないの!!?足に力入れてよ!私ひとりじゃ立たせられん!!」

とか、

なんでもないときにわざとベッドから落ちるとか。

 

「いいかげんにして!」

と、この頃から実の父に対して嫌な気持ちが湧き上がっていました。

 

いつまで続くんだろう。

早く死んでくれたらいいのに…って。

 

ある日、上の子に

「ママ、じぃじは病気なのにどうして怒るの?」

と言われました。

 

子供にとって病気の父に怒っている私は悪いやつにしか見えなかったでしょう。

 

介護保険の認定変更申請

 

こんな毎日で私がへとへとになったときケアマネージャーに相談しに行きました。

介護申請のし直しをお願いしたのです。

 

申請し、様子を見に来て

要介護5になりました。(一番介護が必要な人のこと)

 

もう、本人が何もできないので、障がい者手帳の発行も病院の先生にお願いして書類を書いていただきました。

 

そのおかげで診察代はなくなりましたが、介護の方のお金が月10万でした。

 

特別養老老人ホームへ入所希望書類を提出

 

要介護5になったので、特別養老老人ホームに入所希望の書類を出しました。

 

(特養は要介護3~の受入)

ただ空き待ちが約5年でした。およそ200人くらい待っているとのこと。

 

3件くらい特養を回って、今の父の状況、特別な介護がいるのか、家庭環境を聞いて時には順番を先に回してくれる場合があると教えてくれた。

 

※書類を申請した日付はメモをしておくとよい。別の施設への申請用紙に他の施設への申請日付を記載しなければならなかった(住んでいる区市町村によると思いますが)

 

特養に入ったとしても一番安くて月10万以上します。

 

とりあえず、施設の方に急に要介護5になったこと・母も難病で父の世話ができないこと、私はまだ母親が必要な小さな子供がいることを伝えて、何とか入所が出来るようにお願いした。

 

ショートステイを利用するように

 

そして、ショートステイをお願いするようになった。

車いすもレンタルした。

 

これでかなり楽になった。

ショートステイから戻ってくると、今度はヘルパーさんを一日2回来てもらうようにした。

 

車いす用のスロープも借りた、これが玄関から表に出るために設置すると4mのをかりないといけなかった。意外に重いし長いから運ぶのも大変だった。

 

車いすに乗せても手がだらだらなので、きちんと気にしていないとタイヤに巻き込まれます。

 

病院などにおいてある車いすは自力でタイヤを回していける方のが多いので、あぶないです。

 

介護タクシーは利用しにくいので自分でやることに…

 

病院の日は介護タクシーをお願いしたのですが(ベッドからベッドへ運んでくれるサービスの方です)約束の時間になっても来ない。

 

2時間くらい待っていました。(他のお客さんもいるのでなかなかうまくいかないこともあるそうです。)

 

 

その間子供はどこへも行けず、ずっと病院のベンチでまっていました。

あまりにもかわいそうなので、子供のために介護タクシーを利用するのをやめ自分ひとりで頑張ることにしました。

 

だらだらの力が抜けた状態の40kgを持ち上げるのは本当に大変です。

父をおろす時も大変です。

 

父が乗るまで、父が下りるまで、子供はずっとチャイルドシートで待っています。

足に少しでも力が入ればいいのですがそれが出来ないのです。

 

病院の駐車場にいる警備員さんは何かあるといけないので手伝ってはくれません。

どんなに苦労をしていても、何かあるといけないので看護師さんも、誰も手を貸してはくれません。

 

障がい者用駐車スペースのこと

 

車いすに乗せなければならないので車の横にはスペースが必要です。

歩けるのに、年寄りだからって車いすのスペースに置くな!!

病院だから、みんな具合が悪いんです!

 

 

それでも、2時間待つよりは一人で奮闘した方がまだましだった。

下の子は生まれてからずっと、病院ばかりだった。

家では怒鳴り声だった。

 

 

発症してから2年半で寝たきりに

 

 

特養から連絡

 

3年目の12月の上旬に特別養老老人ホームからケアマネージャーに連絡があり、入所の順番をこちらにまわしてくれたと連絡があった。

 

よく検討するように。と。

そして同じ頃 終身の療養型病院に空きがあるとケアマネージャーさんが連絡をくれた

 

ケアマネージャーさんは通常、在宅介護を主にどうやって介護をしていくかを相談してくれるのですが、今回、とても良いケアマネージャーさんだったので、病院の方もそういったものがあることを教えてくれました。

 

療養型病院へ終身入院を依頼

 

終身までの療養型病院の方が自宅から通いやすかったので病院の方へ入院することをお願いしに行った。

 

病院から言われたこと

 

「医療費はかかりませんが、こちらも慈善事業ではありませんので、個室ではありませんが、個室契約をしていただきます。あと、院内の病衣は必ず契約してもらいます。」

 

などなど話していくうちに医療費以外で月々10万はかかる計算になりました。

さらに、体位を変えるための自動何とかを採用するとか、どんどんお金がかかるように話してきました。

 

なので、

「母も難病です。いずれは寝たきりになる可能性が高くなります。医療費もものすごくかかります。あまり高いくなれば支払いができません」

 

と、はっきり言いました。

そうしたところ、体位を変える自動の何とかは後々、必要になったら。ということになりました。

 

ここだけかはわかりませんが、恐ろしい商売だと思いました。

とりあえず契約書に印を押しました。

 

入院は翌年の中旬になってからになりました。

これで、解放される。

もう、自宅へ帰れる。

 

12月26日から父は翌1月11日までショートステイをして年を越すことになった。

1月11日ショートステイ先から終身の療養型病院へ入院することになった。

もう、家へ戻ることはない。

 

ショートステイ先から連絡 

 

12月31日 17時

ショートステイ先から連絡お風呂から出た後、ボーとしているので脈を図ったところ異常なほど脈が少ない、呼吸があさいので今から救急車を呼びます。とのことだった。

救急で病院に行きました。いろいろ調べましたが異常がなく、特に問題はなかった。

とりあえず、1日様子を見るために入院をすることになりましたが、この様子だと、大丈夫そうなので1月3日までは入院をしてもいいですが、退院してください。

とのことでした。

けれども、ショートステイが1月11日まで予約を入れていたとしても、病院へ運ばれるような重篤なことがあった場合、直後に受入はできないとのこと。

 

1月4日からどうしよう。

ショートステイをお願いしていたのでデイサービスは予約していない。

お風呂はどうしよう?

そんなことを年末にバタバタして年を越した。

元旦も問題なく病院のベッドで寝ているだけだった。

正月休みなのでケアマネージャーにも連絡できない。

 

病院から連絡 父の最期 

 

1月3日

病院から連絡。

呼吸不全。

かなりひどい様子。家族を集めるように言われる。

 

1月4日

父の兄弟も来てもらった。

お医者さんから個室に集められ

呼吸器をつけるにしても、この状態だとつけない方がいいと思います。

とお医者さんから言われました。

 

私たちも延命治療は望んでいないこと、胃ろうも望んでいないということがかかれた父の遺書を持って話を聞いていた。

 

今日かもしれないし、もしかしたら1週間くらい持つかもしれない。

でもいい方向には行かない ということを聞いた。

父の兄弟はその日に帰って行った。

 

1月5日

長男の幼稚園でイベントがあったため、午前中は参加しましたが、父の様態が悪いことを伝え途中で抜けることにした。

 

午後1時

家族、孫たちに見守られて父は息を引き取りました。

 

この1時間後から葬儀に向けてものすごく大変な、そして長い日が始まりました。

それについてはまた、別で書こうと思います。

終身の病院にも入ることもなくなりました。

 

 発症から3年半

 

発症から3年半で他界しました。父68才でした

でも、進行性核上性麻痺に現れる首が後方へ行くこともありませんでした。

 

目が動かなくなることも、ひどくはありませんでした。

あからさまな進行性核上性麻痺の特徴の症状は現れませんでした。

ただ、後方へ突然走り出すことはありました。

 

病状は人それぞれです。

私の父の場合は早く診断してもらえたこと、これがかなり気持ち的にも楽になりました

ここにその専門の個人病院の名前を記載しようか迷いましたが(全国から患者さんが来ているそうです)色々あって営業停止にもなったようなので、記載することはやめておきます。

 

いつ終わるかわからない、先の見えない介護は本当につらかったです。

同じ病気で10年以上経つ人もいると、ケアマネージャーに聞きました。

何かの参考になればいいと思います。

 

いつか、雨はあがります。

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